久しぶりに危機一髪シリーズの続編を書いてみたいと思います。今回は最近はまっているテレマークスキーによるバックカントリー編です。バックカントリースキーはスキー場のような管理された安全な場所を滑るわけではありませんので、様々な危険を伴います。今回は今までに経験してきた危ないと感じた経験をいくつか書いてみたいと思います。
まずアイスバーン。スキー場でも状態が悪いときはアイスバーンがありますが、でも実際の雪山ではとんでもないアイスバーンに遭遇することもあります。今まで私が遭遇した最悪のアイスバーンは2007年3月と2008年1月の御岳でした。
2007年3月は私が初めて御岳にバックカントリーに行った時のことで、初回からそのアイスバーンの強烈な洗礼を受けたのでした。樹林帯は問題なかったのですが、吹きさらしの稜線上に出たとたん、スキーのエッジすら効かないようなかちかちのバーンとなってしまったのでした。見渡す限りテカテカの氷のようなアイスバーンで、アイゼンですら先が少し食い込むくらいです。昨日御岳で二人滑落したとのニュースを目にしていたのですが、こりゃこけて滑り出したら本当に止まらないなとつくづく思いました。そのときはこんな状況ではとてもスキーは楽しめそうにないので、上に行くのは諦めて途中で樹林帯までアイゼンで引き返したのでした。
次に2008年1月の御岳。直前に全国的に大雨となり、標高が高いところでも雨だったためにどこの山もかちかちになってしまったのでした。御岳も例外ではなく、樹林帯の中ですらかちかちの状態で、早々にスキーを諦めてデポし、アイゼンとピッケルで途中まで登って引き返しました。
逆にパウダーの深雪はどうかというと、新雪の滑りが楽しめるときも多いのですが、時として深雪に見事にはまってしまうこともあります。それは2007年1月の霧ヶ峰に大雪が降った翌日、パウダーを目当てに一人で霧ヶ峰に滑りに行った時のことです。
その日はまだ誰もスキーやスノーシューで入っていないようで、全くのノートレース状態でした。登りも膝上のラッセルで、いざ斜面を滑り出しても雪が深過ぎてスキーが雪の中に潜ってしまい、ほとんど滑ることが出来ませんでした。このときは半日ほどで車山から八島湿原を一周する予定だったのですが、この下りもラッセル状態のままだととても予定したルートを回ってくることは不可能だと判断し、途中でショートカットのルートに入ったのですが、これが失敗でした。
入り込んだルートは沢状になっているところで、そんなところには雪がたまりやすく、実際に先ほどまでの膝上のラッセルがとうとうスキーを履いていても腰までのラッセルとなってしまったのでした。進むのも地獄ですが、来たトレースを戻るにもこれだけの雪の斜面を登っていくのも地獄で、結局同じ苦労をするなら下っていった方が楽と判断してそのまま進んでいきました。遠くに見えるあの場所まで行けば除雪された道路があると分かっているのに、なかなかたどり着くことが出来ずに体力だけどんどん消耗していきました。このときは何度か「遭難」の二文字が頭をよぎりました。まさかこの霧ヶ峰でこんなことになるとは。
深雪の時は、行き慣れた場所でも状況が一変するということをつくづく感じました。普通に歩いて20分、スキーで滑れば1分の場所が、ラッセルで1時間以上かかってしまうこともあるのです。またこのときは非常食を持っていなかったのですが、おなかが減りすぎると気力すら無くなってしまうということが分かり、以降はどんな容易なルートでも非常食だけは常にザックに入れておくようにしました。
次は暴風です。標高の高いところでは猛烈な風が吹くことが多いのですが、今まで経験した中で最もすごい風だったのは2008年2月の御岳でした。
登り始めはほとんど無風でしたが、上に行くに従って風が強くなり、稜線上ではまともに立って歩けないほどの暴風となってしまったのでした。耐風姿勢をとっていても、時々ふっと体を持って行かれそうになるほどの風です。しかも強弱がほとんど無く、常に最大級の強さで吹き付けてくるのです。今まで御岳や乗鞍、富士山で猛烈な風は何度も経験していますが、これほどの暴風状態を経験したのは初めてでした。おそらく10分ほどはしゃがみ込んで耐風姿勢を取ったまま、身動きできなかったと思います。初めて風で身の危険を感じたと言ってもよいです。その後、わずかに風が弱まった瞬間をとらえてなんとか稜線上から少し谷側に下り、そこまで下りると稜線上と比べて多少風が弱くなりましたので、再びなんとか歩けるようになりました。
次はホワイトアウトです。ガスって周りが真っ白となり、どこに進んでいるのか分からなくなる状態のことです。乗鞍の位ヶ原では何度もホワイトアウトを経験しましたが、特に2007年2月に位ヶ原まで登ったときは、ガスっていたのに加えて吹雪となり、滑っていても目の前数mほどしか視界が無い状態でした。
途中で雪面に板を取られて転んでしまったときのこと。ふと自分がどんどんとまわりの雪と一緒に下に流されている錯覚に陥りました。まずい、ゆっくりと流れる雪崩に巻き込まれたようだ、なんとかしなきゃともがくことしばらく。ふと少し先に見えていた低木が先ほどから全く動かないことに気がついて、やっと自分も全く動いていないことに気がついたのでした。すっかり周りが真っ白となり、雪が真横に飛んでいき足下も雪の粉が吹き飛ばされている状況では、自分が動いているのか止まっているのかすら分からないことがあるのだと言うことがよく分かりました。
またいくら通い慣れた場所でも、そんなガスの濃いときは下るルートをミスしてしまう危険性もあると感じ、今シーズンからはバックカントリーの際には自分の現在位置が分かる様にハンディGPSを持って行くようにしています。
最後に2007年6月の富士山山頂から滑り始めるときに感じた急斜面での緊張感について書いてみたいと思います。
そのときは絶好の好天で、富士山通い5回目にして初めて山頂を踏むことが出来ました。ただし好天の割に滑りに来ている人は少なくて、今回滑る予定の吉田大沢をまだ誰も滑っていないようでした。そして山頂のドロップポイントまで来ても私一人だけでした。上の方は強風が吹き付けているためか、がりがりの急斜面となっています。上から見下ろすと数百m下まで急斜面が一気に落ち込んでいるのが分かります。エッジがかからないほどのアイスバーンではないのですが、万が一途中でこけてしまったらその斜面の下まで一気に滑落する危険性があると感じ、ここで命をかけて良いものか、しばし迷っていたときのこと。もう一人のテレマーカーが登ってきて、あっさりとその斜面を滑り降りていってしまったのでした。私も仲間が出来たことで心強くなり、やっとここから滑り降りる決心がついたのでした。
ただ斜面はがりがりの急斜面で、下を見ると数百m下まで斜面が続いていて吸い込まれそうになります。安全に斜滑降、アルペンターンを繰り返して高度を落としていきますが、絶対にここでこけちゃいけないと異常に緊張していたせいか、足がとにかく疲れました。やっとざらめの柔らかい斜面まで下りて来たときには、本当にホッとしました。ちなみにそこから下の斜面は最高でした!。そのときの様子は以下です。
Fujimori World : 趣味の部屋 : 富士山テレマーク 2007年6月