今年になってから斎藤一人さんの本を良く読むのですが、その本の中に良く出てくる言葉に「成功する人は感謝が多い」というものがあります。いいことがあったら感謝するのはあたりまえで、嫌なことにも感謝出来るかどうかで違いが出てくるというのです。
また最近読んだ本多静六博士の書いた「自分を生かす人生」という本の中にも「全て"善意に解釈"すれば気持ちよく辛抱出来る」という文章があります。
まさにその通りだと思います。頭ではよく分かります。でも私を含め普通の人は、いざその場になると嫌だなあと言うマイナスの思いが強く出てしまい、嫌なことに感謝しようなどという気持ちにはなかなかなれないのも事実です(^^;。でもその場では感謝出来なくても、いつかは感謝出来るようになりたいと、出来るだけそう言う意識をいつも持ち続けていたいと思っている今日この頃です。
例えば試験に落ちた時。
落ちた時は悔しいけれど、きっと自分のことをよく分かっている神様は、もう少し勉強した方が良いよと自分のことを思って言ってくれているのだと思うようにしています。
気持ちの上では、多少勉強不足気味でもまぐれでぎりぎりで合格ラインを超えて欲しいと願いますが、でも仮にそうして合格してしまうと、多分それ以降はあまり勉強しなくなってしまうものです(^^;。そういう意味で不合格は、もう一度きちんと勉強し直して身につける機会を自分に与えてくれたのだと思うようにしています。
また仕事で、ある顧客より支払いが滞っている時。
請求してもはぐらかされ、いらいらもつのりますが、でもそういう時は顧客を見る目を養い、顧客の信用を判断する力を付けるきっかけを与えてくれているのだと(出来るだけ(^^;)思うようにしています。
だって今回は最悪でも被害額が(仮に)数十万で済んだのだから。これが数百万、数千万になってから起きたとしたら、人生取り返しが付かなくなってしまう可能性すらあったのですから、今まだ取り返しが付く時点で起きてくれたことに感謝しなくてはと思えば、悔しさも多少薄らぎます。
また時に仕事が暇な時。
その仕事に全く将来性が無いならもちろん他の道も探さざるを得ないですが、自分の歩んできた道に自信があるなら、あれこれあまり気をもまずに、きっと今は時間をあげるからいろんなことを勉強しなさいと神様が言っている時なのだと思い、業務の新たな展開を検討してみたり、また日頃読めなかった本などを読んで勉強するようにしています。そんな時間を与えてくれてありがとうと出来るだけ(^^;
思いつつ。
一番いけないのは、そんな時にあれこれ気をもみすぎて自分に自信を失ってしまうことだと思います。どんな時も自分の実力を上げて強みを伸ばし、自信を強く持てるようにし続けるべきです。
仕事で失敗した時。
失敗した原因はいろいろ考えられます。誰でも自分にその原因があるとは思いたくなくて、出来るだけ自分以外のところに原因を探してしまいがちになるものです。でも人のせいにして自分が納得してしまった時点で、逆に自分が成長出来る機会を失ってしまったと言ってもいいのではないでしょうか。
うまく行かなかったり失敗したりするのは「全て」自分にも何らかの原因があると思うことで、その失敗から人は成長出来るのだと思います。例えば取り巻く環境が変わってしまってそれが失敗の原因となった場合でも、その環境に変化があり得ることをあらかじめ見抜けなかったこと、あるいは生じた変化にもっと早く気づけなかったことについて、自分にも問題があったと思えるようになれば、次の時にはきっと成功により一歩近づくことが出来ると思うのです。
失敗はその気づきを与えてくれたということで、だから失敗にも感謝なのです。
ちなみに私の場合は、まだまだ感謝が足りないせいか、失敗もまだまだ多いですが(^^;。