「じゃんぐるぶっくの思い出」シリーズの最終回となる今回では、フォーラムとしての独立そしてインターネットの台頭と時を同じくして低迷期に入って行ったことについて書いてみたいと思います。
NIFTY-Serveのフォーラム、FJAMESの一会議室であった「じゃんぐるぶっく」が多くの会員の方の参加と共に盛り上がり、とうとうフォーラムとして独立することになったのは1994年の暮れになってからでした。そして1994年12月15日、いよいよ新フォーラム「FJAMEP(ポータブルツール日本語環境フォーラム
)」はスタートしたのでした。
次はフォーラムのスタートにあたって、フォーラムの定義として告知した文章の一部を参考までに紹介したいと思います。
『特定の機種を限定せずに広く「ポータブルツール」という位置にある小型コンピュータについて多角的に情報交換をする為のフォーラムです。
すでに小型コンピュータの性能はデクストップ型と同等の機能を網羅しており、時と場所を選ばなくなっています。このような行動的環境が整った現在、いままで常識を打ち破り、より有意義なコンピュータ処理を会員の皆さんと模索していきたいと思います。』
ノートパソコンを含む携帯ツール全般を扱うフォーラムという位置づけでしたが、でも何のフォーラムだかよく分からない妖しさ(^^;も多分にあったと思います。
当時、NIFTYの会員は80万人を超えた頃だったと思います。今、手元にある97年発行の「ニフティサーブ 成功の軌跡」と題された本をめくってみると、NIFTYの会員数は91年12月に30万人だったのが93年5月には50万人を突破し、95年4月に100万人、そして96年9月には200万人を突破したと書かれています。この頃まではNIFTYの会員はほぼパソコン通信がメインだったのですが、その後は徐々にインターネット・サービスプロバイダとしての位置づけが強くなって行きましたので、パソコン通信サービスとしてのNIFTYは96年〜97年あたりがピークだったのかなと感じます。94年から95年にかけての頃はそう、まだ間近に迫ってきているインターネットの脅威に全く気付くことなく、パソコン通信の文化がこれから全盛を迎えようとする、そんな時期だったのだと思います。
ただそれまでの一会議室の議長という気楽な立場から突然フォーラムのシスオペという立場になって、フォーラムの管理上のいろいろな仕事は一気に増えましたね(^^;。会議室の管理、ライブラリの管理、会員からの問い合わせへの対応などなど。
また時期的にもパソコン関係の会社への転職、そして結婚と公私に大きな変化があった頃でもあったのですが、フォーラムは苦労と言うよりは自分にとってのオアシスというか憩いの場でもあったように思います。パソコンの画面のすぐ向こう側に何百人もの仲間がいつもいてくれるんだという思いが強かったです。
ただ人が多く集まるとどうしてももめ事は起こるもので、思い返せば会議室内で年に1回はいざこざが起こり、その対応にはいろいろ悩んだものでした。ただし今のインターネットの掲示板と違って会員制で匿名は不可であったことから、今のインターネットの匿名掲示板でよく見かけるような言いたい放題の目を覆いたくなるような発言が問題になると言うことはあまり無く、大抵のもめ事は最初は些細なことから起きることがほとんどでした。
実際に顔を合わせた話し合いならば、言葉以外の例えばしゃべり方だとか顔の表情だとかで伝わるものが大きいのですが、パソコン通信上の会議室だと全てはテキストのみとなり、なかなか自分の思いが伝わらなかったりします。例えば何気なく書きこまれたひと言に過敏に反応する人がいて、それにまた反応する人が出てきて議論が収まらなくなってしまったり。そして仲裁に入ったのに、結局双方の議論がかみ合わず、苦い思いだけが残ったと言うこともありました。
一つの発言を登録するのにも、その文章を何時間もかけて何度も書き直ししたりしました。そして感じたのは人は皆一人一人違うものであり、一人一人違った考え方を持っているものなのだということでした。だから自分の考え方を理解してくれる人も多いけれど、そうでない人もいる。だから最後は割り切ることも必要なのだと。(ある時期から意識的にある程度やっても駄目だった時はそれ以上悩まない様にしました。でないと自分の方が消耗しきってしまうということを感じたため。)
そうは言ってもそんなやり取りを通していろいろ勉強になることが多かったですし、それ以上に楽しかったからこそ続けられたのだということだけは言えます。
その後ですが、98年ころからフォーラムの活動が停滞しだし、2000年以降ははっきりと低迷ぶりが分かるようになっていきました。会議室への発言も激減していきました。まあFJAMEPのてこ入れをはかれなかった私自身にも問題があったと感じていますが、でもフォーラムの低迷はNIFTYのフォーラム全体の傾向でもありました。
そしてその大きな理由はインターネットの掲示板システムの発達だったと感じています。NIFTYのフォーラムの会議室はNIFTYの会員でないとアクセス出来ません。インターネットの掲示板は、CGIを組み込めば誰でも開設出来ますし、掲示板を無料で提供するサービスも数多く出てきて、そのオープンさ(匿名も可能という点も含め)が広く人気を集めていったのでした。
そしてFJAMEPは2004年11月末をもって消滅しました。