会議室に発言する仲間が実際に顔を合わせて集まることを「オフ」と言いますが、会議室「じゃんぐるぶっく」が活発になるにしたがって、全国のあちらこちらでオフが開催されるようになっていったのでした。そして私も年に数回ほどはそう言ったオフに参加してオフを楽しみました。
ちなみにパソコン通信を始めてから、会議室上で知り合った人と実際にお会いしたというのは「じゃんぐるぶっく」の初代議長が最初でした。会議室上では毎日のように親しくお話させていただいているのに、相手のことをお互いにハンドルネーム(ニックネームの様なもの)でしか知らず、いざ会う当日は朝から緊張していたのを覚えています。誤解されないように補足しておきますと、その方は私より年配の男性でした。
でも会議室で毎日親しく会話を交わしているのに、実際に顔を合わせるのは初めてというのは不思議な感覚でした。会うのは「初めまして」なんだけれど初めてじゃないし、お互い呼び合うのも本名だとなじまないし、ハンドルネームだと面と向かって呼びかけるのはちょっと恥ずかしいしという感じでした。その後沢山の方にお会いしましたが、文章から受けるイメージ通りの人がほとんどでしたが、でも会ってびっくりの意外な人もいました(^^)。
私が最初に参加した大人数でのオフは、93年の7月の信州温泉オフでした。15人ほどが関東方面や関西方面からも集まったと思います。奥深い山の温泉宿でしたが、男性陣は大部屋二間をつなげての雑魚寝の合宿気分で楽しかったです。女性陣は3名ほどいたかな。そして参加者のほとんどが自分の愛機のPowerBookを持ち寄って、その四方山話に時間も忘れて深夜まで語り合ったのでした。そして現地からオフの実況中継をしようと部屋の電話にカプラをつなぎ、なんとか1200bpsほどの低速度で辛うじて通信が出来たのを良く覚えています。
ちなみにその時の参加者の一人には、最近よくテレビで顔を見かける「某IT系企業の元取締役」の人もいました(^^)。もちろん当時はまだその某会社も存在しなかった頃のはずです。
その後もいろいろなオフに参加しましたが、中でもボイジャー・オフ、マーボーブー・オフ、Mac Expoオフ、本栖湖アウトドア・オフなどは特に印象に残っています。ボイジャー・オフとは、当時Mac用のマルチメディアタイトル(エキスパンドブックの「A
Hard Days Night」など)やソフトの開発で有名になりつつあったボイジャー・ジャパンってどんな会社なんだろうという話から出たオフですが、会議室の参加者にボイジャー・ジャパンと知り合いの人がいたことから、その人の紹介で実際に見学に行こうじゃないかという話になったものです。当時、会議室上ではPowerBookを活用した様々な可能性が議論されていて、その中でボイジャーが発売したエキスパンドブック(PowerBook上で読む本を作るツール、あるいはそのツールで作成された本)には大きな注目が集まっていたのです。
当時、ボイジャー・ジャパンは原宿の静かなマンションの一室で業務を行っていましたが、そこにじゃんぐらー(会議室「じゃんぐるぶっく」の参加者は自分たちを「じゃんぐらー」と読んでいた)6、7名で乗り込んでいったものですから、相手から見ればかなり迷惑だったのではなかったかと思われますが、丁寧に対応して頂きました。
マーボーブー・オフとは、当時松戸にあったMacショップ兼ソフト会社の「マーボーブー」にじゃんぐらーが大挙して乗り込んでいったものです。確か当時マーボーブーがリリースしていたワープロソフトなどの議論があった際に、「マーボーブー」ってどういう意味なんだという議論が出て、それからなぜかマーボーブーを訪問したついでにオフをしましょうという話になり、最終的には同じMacユーザと言うことでショップのユーザも含めて合同でパーティーをしましょうという話に拡大していったのでした。その時は双方合わせて総勢で100名近い人が集まった様な気がします。ただパーティー会場で最初の挨拶のマイクを渡されたのですが、人数が多くて逆に緊張してしまい、満足なスピーチが出来ずにさんざんだったのを良く覚えています(^^;。
MacExpoオフについてですが、会議室の参加者の大半はPowerBookユーザだったため、当時毎年春に開催されていたMacの祭典であるMacExpoは年に一番のイベントでした。幕張メッセには全国からMacユーザが集まってお祭り騒ぎの様になったのですが、この時期に行うオフはじゃんぐるのオフでも最も参加者の多いオフともなりました。全国から30人から50人は集まったのではないでしょうか。幹事をされた方は大変だったのではないかと思います。
でもオフで夜集まって、その日の昼間、Expoの会場で見てきた新製品の情報のやり取りをするのは楽しかったです。パーツ系に強い人もいればユーティリティ系に強い人もいて、様々な情報をやり取りすることが出来ました。
ちなみに私が初めてMacExpoを見に行ったのは、まだスカリーさんが基調講演をしていた頃でした。多分93年の春。アップルが一番「夢」を語っていた時期だったと思います。アップルが夢を語ることが無くなった90年代後半はMacExpoにも次第に行かなくなり、現在は国内ではMacExpo自身行われなくなってしまいました。
次に本栖湖アウトドア・オフについて。私が以前より夏場を中心に本栖湖でキャンプをしていたことから、キャンプがてらオフをしませんかと声をかけたのがこのオフの始まりでした。
さすがにAC電源の無いキャンプ場でしたので、他のオフと違ってキャンプ場内でもPowerBookをいじりっぱなしということは無かったのですが、とりあえず内蔵バッテリーの続く限りはPowerBookを皆でいじっていましたね(^^;。当時は2時間ほどしか持たなかったかな。でも時として車のバッテリーから変換アダプタ経由でPowerBookを充電させたりなど、ちょっと怪しい雰囲気の一団だったことは間違いありません(^^;。
そう言えば会議室のメンバーだった東京のお寿司屋さんが、その日握ったお寿司を高速を飛ばしてわざわざ本栖湖まで出前で持ってきてくれたりなんてことがありました。あれはびっくりしました(^^)。
その後、本栖湖アウトドア・オフは年を経る毎に私のいつものアウトドア仲間やウインドサーフィンの知り合いも加わってゆき、夏の恒例の本栖湖キャンプとして今も毎年行われています。
また会議室の活発さに引っ張られる形でいろんな企画が実行されていたのもこの頃でした。日本語版の無い英語版ソフトのマニュアルを、所有している人がページを分担して日本語に翻訳して、自分たちで日本語マニュアルを作ってしまおうと言う「QuicKeys翻訳プロジェクト」やPowerBook内蔵モデム「ExpressModem」やPowerBookのカラートラックボールの共同輸入プロジェクト、PowerBookに便利なユーティリティを会議室上で紹介しあおうなんて企画も頻繁に実施されていました。
次回は会議室「じゃんぐるぶっく」のフォーラム(FJAMEP)化、そしてその後について書いてみたいと思います。