NIFTY-Serveのフォーラム、FJAMESの会議室「じゃんぐるぶっく」に初めて発言したのは、92年10月7日のことでした。それから私は「じゃんぐるぶっく」の一員として活発に会議室に参加するようになったのでした。
「じゃんぐるぶっく」は携帯電脳を幅広く扱う会議室で、特にMacintoshのPowerBookに限定した会議室では無かったものの、当初からPowerBookのコアなユーザが多くたむろする会議室となっていましたので、当時PowerBookにすっかり入れ込んでいた私はすぐに会議室に入り浸るようになりました。
パソコン上でのやり取りというと、実際にやっていない人には無機質なものに見えるかもしれませんが、私にはその時、画面のすぐ向こう側にいつも大勢の仲間がいるように感じられたのでした。また時間と場所に制限されずに会話が出来るという気楽さも重宝しました。もしかするとそれは多分、今の2chとか携帯メールにはまっている人に通じる思いなのかもしれません。
さて「じゃんぐるぶっく」に参加したことで私のMac熱、PowerBook熱も一気に加速して行き、やがてMacintoshを仕事として出来たらいいなと思うようになり、93年春にそれまで勤めていた会社を辞めてMacの販売店に転職したのでした。
当時は本当にどこに行くにもPowerBook100と一緒だったと言っても良いくらいでした。例えばカヌーで千曲川を下る時にも、防水バックの中にPowerBook100を入れて持っていったほどでした(^^;。カヌーにノートPCを持っていって何をするんだと言われそうですが、下の方でも書きましたがとにかく「じゃんぐるぶっく」は発言の多い会議室で、常に未読のログを大量に抱えていましたので、カヌーでキャンプする時でも時間があれば未読のログの処理をしたいと思っていたのです。
当時、私と一緒にカヌーに行かれた方は、私が夜、焚き火の横でPowerBookを広げてコメントを書き込んでいたのを覚えているかと思います(^^;。
私は転職したその年の6月に結婚したのですが、結婚式にはぜひ今の自分の居場所ともなっている「じゃんぐるぶっく」の仲間にも来て欲しいと思い、親しい仲間何人かを招待したのです。そこで最初に顔を合わせた時のことを今でもはっきりと覚えています。
なにせ会議室上では毎日の様に親しく発言のやり取りをしているのに、実際に顔を合わせて会ったのはその時が皆初めてだったものですから、披露宴の式場の入口で最初に会った時の挨拶が「はじめまして」でした(^^;。
私の友人スピーチもそんな「じゃんぐるぶっく」の親しい仲間にお願いしたのですが、「新郎の友人の**です。実は藤森さんとは今日ここで初めてお会いしたのですが、それは...」という話に、披露宴に参加されている人の多くはきょとんとしたのではないかと思っています(^^;。
93年8月からは、一時休まれていたそれまでの議長に代わって私が議長に任命され、以前に増して生活の中で「じゃんぐるぶっく」の占める時間が増えていったのでした。
ちなみに議長とは、そのフォーラムの管理者(シスオペ)から委任されて特定会議室の進行役を勤めるものです。通常は放っておいても勝手に議論が展開されていくのですが、必要に応じて議論の交通整理や進行上の提案などをしなくてはいけないことがありましたし、またごくまれに些細なことから始まった会員同士の言い争いの仲裁をしたりなどもありました。
ただ基本的にはPowerBookを中心とする携帯電脳が大好きな人の集まる会議室ということで、参加されている方の興味は一致していますので、私も議長と言うよりは参加者の一員としての立場で楽しんで参加していました。
ところで当初から「じゃんぐるぶっく」は発言数の多い会議室だったのですが、93年春を過ぎた頃から発言はどんどん増えて行き、夏を過ぎた頃には1日の発言がコンスタントに200から300もあるようになっていったのでした。
発言数が多くて何が一番困るのかというと、NIFTYの当時の会議室の仕組み上、発言を読むことが出来るのは最新の512までとなっていたことです。従って1日から2日間もアクセスしないと、読めない発言が発生してしまうため、皆必死になってアクセスせざるを得なかったのです。
もちろん過去の発言は過去ログとしてライブラリに登録されますので、そう言う意味では全く読めないことはないのですが、ただライブラリに登録されるまでに若干時間がかかることが多く、基本的には皆、必死でアクセスしていたのでした。
(注:もうずいぶんと前のことで当時のNIFTYの会議室の仕組みなどかなり忘れかけています(^^;。もしかしたら私が勘違いしている部分もあるかも知れませんがご容赦を。)
そう、一番発言が多かった時は1日で512発言にあと一歩と言うところまで迫ったのを覚えています。その時は一種のお祭り的な盛り上がり方でしたね。たださすがにここまで多いと多くの人はログを読むのに追いつかなくなった様で(^^;、その後は少し落ち着きました。
ただ「じゃんぐるぶっく」がNIFTYで一番発言が多い会議室だったというわけではなく、上には上がいました(^^;。ただNIFTYのフォーラムでも発言数の多い活発な会議室のひとつだったのは確かです。
NIFTYへのアクセス方法ですが、自宅や職場では電話回線のモデム経由でアクセス出来る環境があったので問題は無かったのですが、一番困ったのは出張時でした。特に泊まりでの出張ともなれば、その間一度もアクセスしないとなると読んでいない発言が512以上たまってしまう可能性もあり、また未読を大量にためると追いつくのが大変と言うこともあって、とにかくいつでもどこでもPowerBookを持ち歩いてNIFTYにアクセス出来るようにいろいろとやりましたね。
当時の「じゃんぐるぶっく」の俗語に「グレ電」と「ふぁ」というものがありましたが、これはそんなアクセスに苦労していた頃に生まれた言葉です。
今のように携帯電話がまだ普及していない時期でしたので、アクセスはもっぱら公衆電話(モジュラージャックが付いているグレーの公衆電話、じゃんぐるぶっくの俗称は「グレ電」でした)か、ホテルの電話機からでした。電話機の受話器に固定して通信を行う「カプラ」という機器も、出張時の必須アイテムでした。多分最近の人は「カプラ」なんて知らないんじゃないでしょうか(^^;。
ちなみに「ふぁ」とはField Accessの略で、屋外でアクセスすることを意味していました。グレ電でモジュラーケーブルをつないでアクセスしていると、端から見ると電話ボックスの中で何もしていないように見える様で、後ろに並んでいる人がいらいらしてドアを叩くことも時々ありました(^^;。
会議室に参加している仲間が実際に会って話をしたり飲んだりするのを「オフ」と言いますが、これはパソコンをネットにつないで会議室で発言したりチャットをしたりするのを「オンライン」と言うのに対する言葉で、「オフライン」で会うを略して「オフ」と言うようになったと聞いています。
93年の秋頃から、せっかく会議室で知り合いになったのだからと、各地でいろんなオフを開催するようになりました。一番最初のオフは信州温泉オフだったように記憶していますが、その後もボイジャー・オフ、マーボーブー・オフ、Mac
Expoオフ、本栖湖アウトドア・オフ、関西オフなど、沢山のオフが思い出に残っています。次回はそれらの話から始めてみたいと思います。