2004年11月末をもって、私が12年に渡って関係していたNIFTYのフォーラム、FJAMEPが消滅しました。オープンなインターネットがメインの今の時代からすると、1プロバイダであるNIFTYの旧会員しかアクセス出来ないフォーラムという閉じた環境は、やはり限界に来ていたと感じますが、いずれにせよ寂しさはひとしおです。
と言うことで今回よりそのフォーラムの想い出を、忘れないうちに(^^; 何回かに分けて書いてみたいと思います。
思い返せばFJAMEP(ポータブル情報ツールフォーラム)の前身となったFJAMESの会議室「じゃんぐるぶっく」に私が初めて参加したには92年10月の事でした。その2年ほど前に買ったパソコン
Macintosh SEで パソコンにのめり込み、時間を忘れてMacに熱中していたのですが、やがて当時流行始めていたパソコン通信というものもやってみようと思いたち、2400bpsのモデム(モデム2400bps/FAX9600bpsのモデルで、8万円位しました(^^;)を思いきって買ってNifty-serveというパソコン通信に加入したのでした。
当時、パソコン通信はNIFTY-serve(今の@Nifty)とPC-VAN(今のBiglobe)ともう一つAsahiなんとかというネットが有名でしたが、書店にはNifty-serveに関する書籍が多かったこともあって、思わず手に取ったNIFTY-serveのガイド本で早速登録の申し込みを済ませたのでした。まだインターネットが一般的に使われていない時代で、これからはパソコン通信だと誰もが思っていた時代です(^^;。
NIFTY-Serveには沢山の機能が用意されていて、様々な情報を検索したりメールを使うことが出来た以外にフォーラムと呼ばれている機能があって、ここがNIFTY-serveの人気の秘訣ともなっていました。フォーラムとは基本的にNIFTY-serveの会員なら誰でも参加出来る会議室システムで、様々なジャンルに関する数え切れないくらいの会議室が設置され、そこでは日々活発に会員同士の意見のやり取りがされていました。
今で言えばインターネット上の掲示板に相当する機能ですが、NIFTY-serveの会員でなければアクセス出来ないこと、発言に会員NOが表示されますので匿名と言うことは不可能だったこと、フォーラム毎に管理者(シスオペ)がいて運営していたことなどが相違点と言えると思います。
ちなみに当時はまだ通信料金はNIFTY-serveおよびNTTで定額制が無かったために、使えば使うほど青天井でお金がかかる仕組みになっていて、当時パソコン通信にのめり込んだ人は間違いなく毎月合わせて数万円のお金を払っていたと思います。(電話代が3分間10円、NIFTY-Serveで確か1分間25円位取られたような気が)
NIFTY-serveに加入し、面白そうなフォーラムはないかとあちこちうろうろしていると、ふと興味深い会議室が目に付きました。それはフォーラムFJAMESに92年8月31日に誕生したばかりの会議室「じゃんぐるぶっく/携帯電脳生活25時間」でした。Macを使っている関係でMacに関したフォーラムの会議室をいくつか見て回っていたのですが、中でもこの会議室の非常にフレンドリーな雰囲気が気に入って、すぐに入り浸るようになっていったのでした。
FJAMESは「パソコンシステム日本語環境フォーラム」というよく分からない怪しい雰囲気のフォーラムで(^^;、そこの会議室「じゃんぐるぶっく」はなぜかMacのノートパソコンであるPowerBookのコアなユーザがたむろする場所となっていたのです。当時、PowerBook100というMacのノートを買ったばかりの私は、そこでのやり取りを見ていたらいてもたってもいられなくなり、思わず初めてとなる発言をアップ(投稿とも言う)したのでした。92年10月7日22時26分のことです。
と言うことで過去のログからその記念すべき初発言を紹介してみたいと思います(^^;。
「***さん、こんにちは
諏訪の名前を見て、あれっと思いプロフィールを確認してみたらどこかで見た名前が...。
覚えていますか。今年の春頃に一度、同じ茅野ということでメールをもらいましたね。
ただその時はまだComNiftyも茄子も知らず、パソ通初心者だったものですから、メールのアップもまだ出来なかったのです。返事もなく、すみませんでした。
あ、挨拶がまだでしたね。
はじめまして、藤森in信州と申します。***さんと同じく諏訪は茅野に住んでいます。
ここのフォーラムでは初めての発言になります。
みなさん、どうぞよろしくお願いします。
MACにはまってはや2年近く、SE(with Mobius),Classic(up to II),PowerBook100を自宅、会社、持ち歩きと使い分けているのですが、やはりPowerBook100が一番手に馴染みますね。
PowerBook100よ、永遠なれ!
−藤森in信州−」
(私はNiftyでのハンドル名として「藤森in信州」を使っていました。なお相手のハンドル名は***に変えさせていただきました。)
この発言から私のじゃんぐるぶっくでの活動がスタートしたのでした。
ちなみになぜPowerBookを始めとするノートパソコンの会議室が「じゃんぐるぶっく」なのか。それはノートパソコンはかつてブックパソコンと呼ばれていて、「ブック」と来れば「じゃんぐるぶっく」だろうという流れでなったという言い伝えがあります(^^;。