もうだいぶ記憶が薄れてきてはいるのですが、あれば確か私が大学4年の夏の終わりの頃だったと思います。
当時バイト先のケンタッキーで知り合った友人のAと、予定の無い気ままな旅をしてみようじゃないかという話になって、突然二人でふらっと3泊4日の旅に出たのでした。
Aは私より1歳年下でしたが、妙に気があって当時よく一緒に遊んでいました。
向かったのは東北です。
1日目の夕方、とりあえず適当なところまで(東京から東北本線一関経由気仙沼の先の吉浜という駅まで)の乗車券だけ往復で買い、乗った各駅列車の中で旅行のパンフレットを広げてAと行き先を相談します。こうして実に気ままな(向こう見ずな(^^;)3泊4日の旅が始まったのでした。
さすがに学生ゆえお金もそんなに無かったため、行きと帰りは各駅列車内で車内泊をして宿代を浮かせ、現地で1泊だけは民宿を適当に見つけて泊まろうという貧乏旅行でしたが、最後お金のないことに相当苦しめられることになるのでした...。
列車の中で地図と旅行ガイドを見ながらAと行く先を相談するもなかなか決まらず、ようやく気仙沼にある離島の大島へ行くことに決まったのは、列車が出発してからだいぶ経ってからでした。
そして1日目の夜はその各駅列車の揺れる座席の上で、これからの旅を思いつつ、なかなか寝付かれぬまま過ごしたのでした。
2日目の朝、一関でローカル線の大船渡線に乗り換えて気仙沼方面に向かいます。そして気仙沼駅で降り、気仙沼港から大島行きのフェリーに乗ります。
フェリーはほぼ30分ほどで大島の港に着きました。大島は4000人弱ほどの人が住む東北最大の離島で、三陸海岸特有の複雑に入り組んだ海岸線が特徴的な自然豊かな島です。
まずは今夜泊まるところを探さなくてはと島の中をぶらぶらと散策していると、海岸にほど近いあたりに一軒の民宿を見つけたので、今夜泊めてもらえないかと声をかけてみます。特に週末でも無かったので今日は私たち二人だけとのことでしたが快く受け入れてくれ、これで今日の宿が決まったのでほっと一安心でした。
これで今日は思う存分島の中を探検したりして遊ぶことが出来ます(^^)。
早速水着に着替えて近くの砂浜まで行きます。さすがに平日だけあって見渡す限り人一人いない砂浜でちょっと寂しかったりしましたが、でも思い切りのんびりと過ごすことが出来ました。
もちろんその夜は宿で海の幸でおなか一杯になったのは言うまでもありません(^^)。
3日目。
今日も夕方までは島でのんびりする事にし、島の中を歩いて散策します。
その海岸線は岩場と砂浜を繰り返し、複雑に入り組んでいて、しかも海は蒼く澄んでいて、そんな風景を見ながら歩いているといつまでも飽きると言うことがありませんでした。また時々海岸に降りては岩場や洞窟を探検したりもしました。
そんな感じで、この日の夕方までは実に気ままな旅を思い切り満喫していた二人でした。
夕方、再びフェリーに乗って気仙沼に戻り、そこから来たのと逆のコースをたどって帰り始めたのでしたが、そこでいきなり重大問題が発生したのでした。なんとあまりにゆっくりしすぎたため、その日の最終列車の発車時刻に数分ほど遅れてしまったのです。それに乗れないと、次の列車は次の日になってしまいます。しかし予算的にここでもう一泊する余裕はありません。なぜならこの時点での二人の所持金は、5000円ほどしか残っていなかったからです。(当時はクレジットカードも持っていなかったので、まさに所持金だけがすべてでした)
そこで慌てて近くに停まっていたタクシーに事情を話し、次の駅まで列車を追いかけて先回りして欲しいことを頼んでみました。その際、所持金があまり無いことも話し、申し訳ないが3000円しか支払えない事も言いました。
そのタクシーの運転手はとにかく走ってみようと言ってくれ、すぐさま最終列車を追いかけ始めます。次の駅では残念ながらぎりぎり間に合わず、もう一つ先の駅まで向かいます。その途中、メータの料金がとうとう3000円に届いてしまったのですが、そのときタクシーの運転手はメータを倒して走ってくれ、なんとか次の駅では最終列車に追いつくことが出来ました。心よりのお礼を言い、急いで最終列車に飛び乗りました。
これでなんとか帰れるとほっとしていたのもつかの間、次なる試練がすぐに訪れるのでした(^^;。
一関駅に着き、東北線に乗り換えようとしたのですが、そんな二人の目に飛び込んできたのは直前に起こった地震でダイヤが大幅に乱れているという案内でした。
駅員に聞いてみると、現在列車がほとんどストップしていて、次に出る列車は現在ホームに停まっている特急の予定だが、発車時刻等も全く不明で、それ以外の列車は今夜は多分駄目だろうとのこと。なんて事だ。乗車券の往復のチケットだけは先に買ってあったのですが、ここから東京までの特急料金はとても払うことが出来ません。まいったというのが正直な気持ちでした。
ああ、今夜はこの特急を見送りつつ駅のホームで一夜を過ごすのかとがっかりしていたらアナウンスがあり、東京方面へ行く人はこの列車に乗ってくださいとのこと。どうやら特急と言ってもダイヤの乱れのために停まる駅も多く、切符は乗車券だけで良さそうだとのことでした。
早速その特急に乗り込み、待つこと30分ほど。やっと列車は東京に向けて動き始めました。ただダイヤが大幅に乱れているため頻繁に停車し、そのまま30分や1時間停まっていることもたびたびでした。
ある駅で1時間以上停車していたときのことでした。夕方以降、時間も無いせいもありましたがお金も無いために満足な食事を取っていなかったため、二人とも相当におなかがすいてきました。ただこの時点で二人の合計の所持金はなんと1000円ほどしか残っていなくて、最後に必要なJR以外の列車代を差し引くと、使えるのはあと500円ほどしかありません。
食事をするためにどこかに入れば、とてもこのお金では二人分は無理そうです。
ふと停まっている列車の窓から駅の外を見ると、夜遅くまで営業しているパチンコ店が見えました。当時パチンコが得意だったAは、この500円を元手に数倍に増やしてみせると豪語し、列車を降りてパチンコ店に向かっていきました。
そして30分後、ニコニコしながら帰ってきて、「やっぱりすっちゃったよ。」と一言。ああ、これで今夜は飲まず食わずで過ごさなくてはならなくなってしまいました。まあ仕方ないさ、ついていないときはそういうものかもしれない。
この辺から時間的には4日目。
その夜は空腹を感じつつも意外と列車の中で熟睡出来ました。さすがに各駅列車よりは座席がゆったりで柔らかでしたので。
そしてその日の朝、やっと列車は東京についたのでした。