私は禁煙してからもう15年ほど経ちますが、やめる直前は1日に3箱をきっちり根元まで吸う超ヘビースモーカーでした。
タバコを吸い始めたのは20の時だったように記憶しています。それまではタバコに対する興味も全くなく吸おうとも思わず、また私の父も早くに禁煙して嫌煙家だった影響もあり、自分は一生吸うことは無いだろうと思っていたのですが、そんな自分に心の迷いが生じたのは大学3年の終わりの頃の事でした(^^;
ただ最初は1日数本程度で、大学を卒業する頃でも1日1箱(20本)は行っていなかったと思います。
大学を卒業して入った最初に入った会社では設計部に配属となり、設計業務を担当することとなりましたが、初めてその設計室に足を踏み入れてびっくりしたのは、部屋の中には紫煙が層になって漂っていて部屋の向こう側がかすんでいた事でした。
広めの部屋には50名ほどの設計部員が勤務していましたが、そのほとんどがタバコを吸っていて自席で吸い放題だった為、設計に行き詰まったりいらいらしたりする度に皆タバコを吸い、それが換気の悪い部屋の中で層になって漂っていたのです。
まあ時代的に禁煙という声はまだそんなに大きくなかった頃でもありました。
タバコを吸う本数はそれから急激に増えていきました。
考え込んでいたりいらいらしたりすると、ついついタバコに手が伸びてしまって。
やがてこのままだと健康に良く無いなあと思い始め、本数を減らす為に「パイポ」(確かそんな商品名だったような)というタバコのような恰好をした、吸うとハッカとかの味がする禁煙用品を買って、タバコを吸いたくなるとこっちを代わりに吸ったりしてみたのですが、私の場合は逆にこれでまた本数が増えてしまいました。それはなぜか。タバコだと燃えていくので数分吸えば1本が終わってしまうのですが、こちらは燃え尽きることがないのでいつまでも手に持って吸ってしまう癖が付いてしまったのです。
パイポでタバコの本数を減らせられれば良かったのですが、私の場合はチェーンスモーカーへの道を転げ落ちていったのでした(^^;
ところで1日3箱というと全部で60本。1日のうちタバコの吸える時間から逆算すると1時間あたり5、6本は吸っていた計算になります。
間もなく世間でも禁煙の声が大きくなり、いよいよ設計室も特定場所以外での喫煙は禁止となりましたが、そこには喫煙場所に頻繁に通う私の姿があったことは言うまでもありません。
そして25を過ぎると顕著に喫煙の影響が健康に現れてきました。
まず朝起きるといつも頭ががんがんして重いのです。咳も多くなり、そしてちょっときたないですが咳をすると茶色に染まったたんが出てくるようになり、こりゃあ肺の中はニコチンとヤニで真っ黒になっているに違いない、このまま行ったら自分は長いこと無いかもとかなり深刻に思うようになりました。そして近い内には禁煙しなきゃと強く思うようになったのですが、なかなかやめる最後の決断が出来ませんでした。
そして26のある日のこと、いよいよ今日から禁煙しようと覚悟を決め、持っていた吸いかけのタバコの箱とライターを捨てたのでした。
それまでも1日から3日間の禁煙は何度かしたことがあったのですが(^^;、今回は1週間、2週間とタバコを吸わない日が続き、そしてそのままタバコを吸わないまま今に至っています。
そうそう、禁煙してしばらく経ってから見た夢で、今でも思い出す夢があります。それは夢の中でつい思わずタバコを吸ってしまって、「あっ!やばい。タバコ吸っちゃったよ!」と叫ぶ夢です。
禁煙中ならではの夢で、目が覚めて思わず苦笑いをしてしまいました。 やはり禁煙しなきゃというある意味の切迫感、重圧があったのでしょう。
それから半年ほどは多分自分の中に無理してやめているという意識があったせいか、身近でタバコを吸われるのがいやでしたね(^^;
なお健康面で禁煙の効果が出てきたなと感じられたのは半年ほど経ってからでしょうか。朝起きる時の頭痛も次第にきれいさっぱりなくなって行きました。
そしてやめてつくづく感じたのは、タバコは臭いと言うこと。吸っている間は全然感じたことも無かったのですが、吸わなくなってから急に感じられるようになりました。タバコを吸っている人の息もタバコ臭いし、その人の服までもタバコ臭いのです。例えば私の車にタバコを吸っている人が入ってくると、すぐそのにおいで分かります。
あとタバコから立ち上る煙も周りにとっては迷惑この上ないと言う事も、やめてからつくづく感じました。
ヘビースモーカー→禁煙を経験してみて、はっきり言ってタバコは吸わない方が良いと断言出来ます。 全然かっこいいものじゃない。 吸っている人は気休めとか落ち着くとか言うけれど、私も吸っている時はそう思っていたけれど、それはタバコを吸っている自分を納得させる為の言い訳に過ぎないのだと感じます。ただ止められないだけ。
(そうタバコは恐るべき習慣性があるのです。)