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[2004/11/05] 四万十川カヌー旅の想い出

 日本最後の清流として知られる四国の四万十川ですが、カヌーを始めてからはごく自然にぜひいつか下ってみたいあこがれの川となりました。
 ただ四万十川はそう簡単に行かれる川ではありませんでした。四万十川まで行くだけで1日以上はかかりますし、かつ上流から下流までカヌーで下ろうとすればそこでも3日から4日はかかり、トータルで1週間以上の休みが取れないと行くことが難しいのです。また時間的な問題だけでなく、特に上流は激流としても知られており、果たしてそんな激流を下って生きて帰れるのかという心配もありました。中流域にある江川崎から下流はほとんど瀬もなくなり穏やかな川になりますので、そこから下ればそう危ないことはないのですが、でもせっかく時間をかけて行くからにはぜひ上流側から下ってみたいと思っていました。

  そしてカヌーを始めて約4年後の1990年のゴールデンウイーク、とうとう覚悟を決めて四万十に行ってみることにしてみました。ゴールデンウイークの連休に有給を付けて8日ほど休みを取ったと思います。
 ところで現地まで行く手段ですが、車で行く、列車で行くなどいろんな方法を考えたのですが、行くのは自分一人だけでしたので、時間的な問題もあり、茅野から名古屋までは列車で行き、名古屋から高知まで飛行機、そこから先は列車に乗り換えて行くことにしてみました。
 当時使っていたカヌーはファルトボートという18kgほどの折りたたみ式のカヌーでした。そのずっしりと重いカヌーにプラス、キャンプ道具などを背負い、よろよろと旅立ったのでした(^^;。
 2日目の午後、やっと四万十川上流の土佐昭和に到着し、その本当に重たい荷物を背負って駅から川原まで歩いたのですが、川原に着いた時にはほとんど倒れる寸前の状態でした(^^;。
 上流の四万十川は予想したより水量が無く、本当にファルトで下れるのかなあとちょっと心配でしたが、でもさすがに水はきれいでした。その日は川原に一人ぼっちでテントを張り、日が暮れるまであこがれの四万十川を眺めながらビールを飲んでいました。

 3日目の朝、いよいよ四万十川に漕ぎ出します。このあたりはまだ上流のため、数百m毎にちょっとした瀬があるのですが、いきなり最初の瀬ですっかり頭を抱えてしまいました(^^;。後から思えばたいした瀬では無いのですが、水量が無いせいで瀬の中で岩があちこちに顔を出していて、うまくコース取りしないと岩に乗り上げてしまう可能性が高そうでした。使っているのは骨組みが木で出来た折りたたみ式のカヌーでしたので、瀬の中でそんな岩にぶつかったり乗り上げてしまうとカヌーを壊してしまうという可能性があり、わざわざここまで来たのに開始後わずか1時間で撤退してしまうことになるかもしれないという不安と、そしてここで逃げたら次の瀬も皆逃げることになりかねないという恐れ、それに自分の腕を天秤にかけ悩んでしまったのでした。
 30分ほどはその瀬を下見しながらどうしようと悩んでいたと思います。その時、ふと上流から1艇のカヌーが下ってきて、何事もないかのように瀬を軽やかに下っていったのでした。なんだ、悩むほどの瀬ではないなと思い(^^;、私も覚悟を決めて下り始めたのでした。
 その後江川崎に着くまで、さすがにこれは無理だとフネから下りて下った瀬は一ヶ所だけで、あとは転覆もせずなんとか漕ぎ抜けることが出来ました。これはその後の自分にとっても自信になりました。

 ただ5月とはいえ南国土佐の太陽はもうすでに夏並みの強力さで、うっかり丸1日腕を焼いてしまったら、次の日からはもう地獄でした。腕が日焼けで真っ赤になり、そこを再び焼かれるのは耐えられないほどの辛さでした。仕方なしその暑い中、長袖やカッパを着て陽ざしを避けたのですが、やはり日焼けには注意しないといけないとつくづく感じました。
 またこの時は一人で行ったので、途中で出会った同様に一人で下っている人とすぐに親しくなり、一緒にキャンプして焚き火を囲んで語り合ったりしたものです。友人と一緒に行く旅もそれなりに楽しいですが、どうしても仲間で固まってしまって他の人とのふれあいの輪というものが広がらない傾向があります。一人旅というのは、こういった出会いの楽しみというものが味わえるのも良いところです。

 さて四万十川ですが、江川崎から下流は水量も増えて川幅も広くなり、大河となってとうとうと流れていくようになります。ここからはファミリーコースで初心者でも心配なく下れます。
 確か口屋内の小さい集落だったと思うのですが、たまには昼食を食堂で食べようと買い出しのついでに食堂に立ち寄ってみたのですが、その食堂が昭和30年頃からそのまま残っているのではないかという様な昔ながらの食堂で(^^;、大丈夫かなとちょっと心配しつつも入ってみました。そしてカニ定食を頼んでみたところ、どんと出てきたのはドンブリ一杯のご飯と普通のみそ汁一杯、それに皿一杯の揚げた沢ガニだけでした。おいおい、それだけかいと思いつつ、そのからっと揚がったカニを食べてみたのですが、それのうまかったことと言ったら(^^)。それだけで十分なごちそうでした。
 その後、あんまり漕がずに川の流れと共に下って行き、やがてゴール地点の中村市に到着しました。そこで1回目の四万十川カヌー旅は終わりを告げたのでした。帰りですが、折りたたみ式のカヌーは現地から宅急便で自宅あてに送りましたので、身軽で帰ってくることが出来ました。

 1回目の四万十川の印象がとても良かったため、その翌年のゴールデンウイークも9連休を確保して、再び四万十川に旅立って行ったのでした。2回目は、さすがに飛行機を使うまでの予算が無かったため(^^;、行きも帰りも高知までは高速バス(茅野→大阪、大阪→高知と乗り継ぎ)を使いましたが、さすがにほぼ1日近く座席に座りっぱなしなのは本当に疲れました。
 それ以来、今年こそは行こうと毎年の様に思っているのですが、いまだに3回目の四万十川に行くことが出てきていません。それでも来年こそはと願いつつ...。